日本の中心でしたことは (長野) 2001年10月22日


 長野と岐阜の県境の乗鞍高原に、日本の道路最高所という乗鞍スカイラインがある。2002年までは一般車の通行が可能だったが、マイカー観光客の増加により廃ガスで自然破壊が起きるとの理由から、2003年から一般車の通行は禁止になり、専用バスのみでの通行になるとのことだった。

 その話を通行禁止になる前年に友人から聞き、乗鞍スカイラインの存在も初めて知った。一緒に行こうと誘われたので友人の車に同乗し、その乗鞍スカイラインへと出掛けることになった。

 長野高速の松本インターで高速を下り、梓川沿いの国道158号線で山間部へと向かった。堤高155mの大規模アーチ式ダムである奈川渡ダムを越えた先で県道84号線に入り、この林道で乗鞍高原と最高地点を目指した。乗鞍スカイラインは最高地点から下って行こうという算段だった。

 季節が秋だったこともあり乗鞍高原は一面の紅葉。次第に近づく最高地点に気分も高揚していた。県境にある最高地点の標高は2715m。勾配が急な坂道を上がるにつれて、紅葉は高山植物に姿を変え、標高2500mくらいまで来ると、そこから先は路面凍結のために通行が遮断されていた。

 そこに車を停め、歩いて最高地点を目指すことにした。軽い観光気分で来た私は薄着だったので、外のひんやりとした空気に意表を突かれた。かなり冷える。
 我慢しながら歩いていくと、暖かさを感じさせてくれていた高山植物は姿を消し、辺りは荒涼とした世界に変わった。さらに下がった気温も、まさしく荒れた涼しさだ。寒さになんか負けるもんかと進んだ先は、目を疑うような雪景色に変貌した。

 さっきまでいた数百メートル下の世界とはまるで大違い。おまけに震えが止まらなくなるほど寒い。観光なんてもんじゃなく、まるで遭難しているような気分になった。
 最高地点には駐車場や土産屋のような建物があったが、もちろん誰もおらず、寒にも耐えられないのですぐに引き返した。体を温めるにはこれしかないと、空気の薄さを忘れて走ったため、最後には息まで切らした。

 通行が無理だった上に、ただ辛い思いをしただけじゃつまらない。帰る前に他の観光地にでも寄って帳尻を合わせようと地図を見ると、隣の塩尻市の下の辰野町に「日本のヘソ」と書かれた場所があった。
 これは一体なんだと興味が沸いた私たちは、気分までへそ曲がりになる前に、その「日本のヘソ」へと向かうことにした。

 一般道で辰野町を目指し、王城枝垂栗林道というダート道を上がって行くと展望台のような鉄塔があり、その近くに「日本中心の標」と刻まれた石碑があった。文字の下には東経137度59分36秒、北緯36度00分47秒、標高1277mと刻まれている。日本のヘソとは、日本の中心に位置する場所だった。

 石碑と展望台以外には何もなく、私たち以外に誰も居ない。しかし、中心と書いてあるのだから、ここが日本の中心なのだろう。
 とりわけやることもないので、展望台から景色を眺めたり周辺をうろついていたりしていると、突然の便意に襲われた。トイレを探したが周りにはないし、とても我慢できる状態でもない。

 それならひとつ思い出を作ろうと、石碑の裏の草むらに入り、日本の中心で愛を叫ぶ代わりに、唸り声を上げながら野グソをした。
 乗鞍スカイラインの門は閉まっていたが、日本の中心では私の門が開いていた。向こうでは寒い思いをしただけだったが、こちらではホットしてすっきりしたのだった。




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