辺境の珍スポット (景洪) 2009年7月28日〜30日


 ニーハオ、シェイシェイ、オーアイニー、イー・アール・サン・スー・・・。
 知っている中国語はこれだけ。そんなレベルでこれから中国を横断しようとしていた。
「中国では英語はまったく通じない」。この国を旅した者が決まって口にしていた言葉だ。
 通じないならば中国語を使うしかない。そこで私はガイドブックの巻末にある「旅の中国語会話」を参考に、最低限の言葉を学んでいった。

 最初に覚えた言葉は、ドゥオシャオチェン(いくらですか)、ウォーヤオ〜(〜ください)、ジェイガ(これ)、ネイガ(あれ、それ)の四つ。中国語には四声という基本発音があるので発声は難しいが、そんなことは気にしてられない。とにかく話してれば通じるだろう。
 通じなくても最後の手段として、漢字を利用した「筆談」がある。そのためにペンと手帳は常にポケットに入れていた。

 中国雲南省には独特の衣装を着た少数民族が多く住む。今いる景洪はシーサンパンナ・タイ族が自治する最大の町。ここは雲南省の中でも少数民族の比率が高いエリアらしく、市内にはタイ族、ハニ族、ジノー族、ラフ族、イ族、プーラン族、ヤオ族、ワ族などが暮らしているという。

 そんな民族が暮らす村々を訪れてみたいが、それよりもまずは中国に慣れなければならない。そして、覚えた言葉も実践で使用しながら磨き上げなければばらない。それにはまず基本的な市内散策が打ってつけだ。

 町にも衣装を着た民族をがいるだろう。そんな期待を胸にしながら景洪の町を散策したが、近代化した町にはその姿はまったくない。
 唯一見たのは民族工芸品市場で宝石販売をする、ルンギを腰に巻いたインド顔の男たちだけ。他の人々はいたって普通の格好だった。

 代わりに建物や風景の写真を撮ろうとすると、デジカメのメモリーがゼロになってる事に気が付いた。予備のカードも既に満タン。使用している一昔前のスマートメディアは容量がそれ程ない。

 この事態に備えて日本からカードリーダーとメモリースティックを持ってきていた。これを使えば撮った写真をネットカフェでパソコンに落とし、メモリースティックにコピー出来る。それを繰り返せばスマートメディアが何度も使えるという算段だった。

 早速ネットカフェを探したが、衣装を着た民族と同様にどこに見当たらない。目に付くのはゲームセンターと電話屋だけ。こんな大きな町なのに、どうしてネットカフェが一軒もないんだ。データを空にしなければ新たな写真は撮れない。

 絶対どこかにあるはずだと血眼になって探し回り、2時間後にようやく発見。そこでネットカフェの事は「网巴(タントー)」と言うことを知った。それと中国通貨の元は「ユエン」と言うのではなく、一般的には「クワイ」と言うことも分かった。

 ネットカフェ探しで散々うろついたので、町はもう見飽きた。写真も撮れるようになったし、どこか他の場所へ行きたい。
 そこでガイドブックを見ると、郊外に大孟龍という町があることが分かった。そこにはシーサンパンナのシンボル的建築物という、銀色に輝く曼飛龍仏塔もある。これが見たくなったので、運ちゃんが携帯電話で話しながら猛スピードを出すバスでそこへ向かった。

 到着した大孟龍には小高い丘があった。塔がありそうな雰囲気はそこだけだったので、とりあえず丘に上がってみた。予想通りに塔が建っていたのだが、それは銀色の塔ではなく金の塔。しかも塔を守ってる龍が、なんとも間抜けな顔をしている。
 ここではなさそうだと丘の上から周辺を見渡すと、2,3km離れたところにもう一つの塔が見えた。歩いてそっちへ行ってみると、そこが目指していた曼飛龍仏塔だった。

 塔の入口には古い民家の集落があり、1本の細い道が丘の上にある塔へと続いていた。途中にはチケット売場らしき小屋があったが、誰もいないので気にせず素通り。だが飛龍という名を持つ仏塔である。すぐにおばちゃんが飛ぶ龍のこどく追いかけてきて、しっかりと料金を徴収された。

 八角形を基盤とする曼飛龍仏塔は確かに独特だったが、それよりも塔の周りにいたカラフルな石像の方が数倍も存在感があった。塔の守護神なのだろうが、その容姿は稚拙で迫力がなく、思わず笑ってしまうようなものだった。

 寺にいたのは日陰で涼む数人の地元民だけだったので、余計にその石像たちが目に付いた。辺境の地で訪れた予想外の珍スポット。こんな所にいる観光客の私も、地元民には珍しく見えただろう。




Copyright (C) 2019 諸行無常 All Rights Reserved