神奈川・東京編2 2016年5月2日


 北条政子ゆかりの第3番田代寺を打ち、同じ鎌倉市内にある杉本寺に移動した。ここは坂東三十三ヵ所の第一番礼場であり鎌倉最古の寺。
 近くにある竹林で有名な報国寺は訪れた事があるが、杉本寺は初めて。今回この旅をしなければ、ここに来ることはなかったかもしれない。

 杉本寺の創建はかなり古く、行基が十一面観音を安置した天平6年(734年)が始まり。そもそも行基とは何者か。知らないのでネットで調べたところ、大乗仏教の修行を生涯を通じて実践した、日本で最初の仏教僧とのこと。

 安置されてる十一面観音というのは11の面があるのだろう。私の知識では子供のころに流行った「キン肉マン」に出てくる、阿修羅マンの3面がマックス。その3つの顔は、怒り・笑い・冷血だった。

 11も表情があると、どういうものになるのか。これも分からないので調べてみると、ベースは仏面、菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面、大笑面の5つになり、それは悟り・救済・怒り・励まし・笑いといった表情。
 すると5つの中に枝分れした細かい表情があり、実際は11面ではないことになる。だがそこは観音様。凡人の私たちには分からない慈悲の表情があるのだろう。

 坂東三十三ヶ所の発願になる第1番が杉本寺になったのは、この観音巡りの起源が観音信者だった源頼朝にあることが大きく関係してるようだ。三十三ヵ所を順番に追うと、鎌倉を中心にして時計周りに関東を一周していることが分かる。

 当時は鎌倉が都だったわけだし、そのエリアにある最古の寺が第1番に選ばれたのは、当然の流れだったのだろう。

 だが、この坂東三十三ヶ所は、正規の順番に巡るとかなり効率の悪いルートになる。第1番から第14番までは鎌倉を中心に神奈川・埼玉・東京と巡れる。ここまでは妥当なルートだろう。
 しかし、第14番で再び横浜まで戻った後の第15番目は、群馬の高崎まで高跳びすることになる。このポイントが解せない。

 昔の信仰深い人たちは、全てを順番通りに歩いたのだろう。訪れる寺は三十三ヶ所だが、その総距離は1300km。四国八十八ヶ所と比べると寺から寺への移動が長距離になる箇所が多いので、かなりハードな巡礼だったはずだ。

 そのためか、巡礼が盛んになった江戸時代からはルールも変化したようだ。自分の巡り易い順番で、信仰よりも遊楽気分が流行ったという。

 第1番の杉本寺を打った後、逗子市にある第2番岩殿寺へ移動。その次は横浜市の第14番弘明寺へ。弘明寺は商店街の中にあるためか、地元らしき参拝者を多く見かけた。軽く立ち寄って拝んでいく人々の姿は、昔から変わらぬ景色なのかもしれない。

 ここで神奈川県にある9つの寺を全て打ち、次は東京唯一の寺になる雷門で有名な浅草寺へ向かう。ここは過去に何度も訪れたことがあるが、坂東三十三ヶ所の第13番とは知らなかった。
 浅草寺は外国人を含めた観光客が多く、土産屋が並ぶ仲見世通りは相変わらずの混雑振り。この日は上空に「メットライフ生命」の宣伝用飛行船が飛んでいた。

 これは「スヌーピーJ号」という日本で唯一の有人飛行船らしい。パイロットの他3名が搭乗可能のようだが、一般人は乗ることができない。
 かつては日本飛行船という会社があり、15万円の乗船料金で飛行船クルーズを運営していたらしい。だが、その会社は既に倒産してるので、現在日本で飛行船に乗ることは無理だという。

 飛行船にはいつか乗ってみたいが、今乗らなければならないのはバイク。浅草寺で観光気分を味わった後、再びアクセルを全開にして千葉県に入り、日が暮れる前に第29番千葉寺を打って初日は終了。
 明日は第31番笠森寺からのスタートなので、近くまで移動しときたい。地図を見ると周辺に高滝湖があったので、そこをキャンプ地に選んでさらにバイクを走らせる。

 選んだ高滝湖に着いたが、湖畔に目ぼしいキャンプポイントがない。ボート乗り場の横に小さい公園があったが、そこはキャンプ禁止で夜でも人が来そうな雰囲気。
 諦めて周辺をうろついてると不入公民館を発見。近くは民家も少なかったのでここは大丈夫だろうと判断し、建物の脇にテントを広げて休息の寝床を作った。

[この日の写真]




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