流刑の島 (姫崎〜松ヶ崎) 2010年5月20日


 今日の目的地は松ヶ崎にある鴻ノ瀬鼻のキャンプ場。道中は何もないと思っていたが、色々な発見が満載だった。

 まず片野尾にあった片野尾八十八ヶ所霊場。 これは山道を登って下る遍路で、30分で歩くだけで四国八十八ヶ所を巡ったのと同じになるという場所。
 それと、佐渡は春駒の発祥の地であること。春駒は正月の門々に団扇太鼓の音につれて舞う踊りで、佐渡には男春駒と女春駒があるという。

 赤玉石が産地の赤玉にあった寺院の境内には、100万円位の価値がある赤玉石があった。寺院の隣の農協を覗くと、「つんぶり」という佐渡の焼酎を発見。つんぶりとは佐渡の方言で山の頂という意味。昨日の買った天領盃は一晩で飲んでしまったので、今夜はこいつが夜の友だ。

 赤玉では次の日曜日に神事祭が行われるのたが、これが両津の鬼太鼓とバッティングしてるので、客をほとんど持っていかれるとレジのおばちゃんは嘆いていた。去年はカンゾウ祭りと重なったらしい。どうやら毎年ツイてないようだ。

 この辺りは気さくに話しかけてくる爺さん婆さんが多かった。ある婆さんの話では、同じ部落に住んでいても赤玉が出る奴もおれば、出ない奴もおるとのこと。どうやら昔これで大金を手に入れた者がいるようだ。

 赤玉はなかなか手に入らないが、この先にある海岸ではトラ模様の石があるという。記念に拾って帰りたいと注意しながら歩いていたのだが、どこにもそれらしき石はなかった。代わりに見つけたのはピンクのブラジャー。こんなものを拾う趣味はない。

 農協や小さな商店にはトビウオのすり身が売っていた。これを白飯にかけて丼にしたかったのだが、生では食えないという。ツミレにして食べようと思ったが、売っている醤油は大きなものだけで袋で小分けされたタイプがない。

 トラ模様の石や醤油のことばかり考えている内に、和太鼓軍団「鼓童」の2軍の合宿地である柿野浦を通り過ぎてしまった。せっかくだから見ていきたかったが、2kmは戻らなければならなかったので諦めた。

 雨だった天気も回復し、昼頃には目的地の松ヶ崎に到着。鴻ノ瀬鼻灯台があるキャンプ場は無料でありながら便所やシャワーもあり、目の前は日本海というロケーション。自分の体と衣類を洗ってリフレッシュし、つんぶりを飲みながらまったりと過ごした。

 周辺を散策してみると、松ヶ崎は屋号の里という肩書きがあり、民家の玄関にはそれぞれのマークや名前が入った木の表札が掛けられていた。
 数軒は表札の名前と今住んでる人間が同じだったが、ほとんどは違う名前。なんだかよく分からないが地元民に聞いたところ、これは4年位前から始めたものだという。観光客を集めの一環だろうか。

 佐渡島は古代から近世にかけて、流刑地として知られていたようだ。この松ヶ崎にはかつて港があり、僧の日蓮や能楽師の世阿弥など多くの著名人が流されて出入りした場所だという。
 ここには「おけやき」という年季の入った大木もあった。佐渡に流刑された日蓮は、この木の下で第一夜を明かしたようだ。

 つんぶりで午後のひと時を過ごしていると、NHKラジオから演歌や浪曲が流れてきた。これが日本海に妙にマッチする。浪曲は日本のブルースだと改めて思った。
 ニュースでは繁殖が期待されていた野生のトキの事を告げていた。どうやら生まれたかもしれない雛は、カラスに襲われたらしい。そういう事をするカラスは願の集落の婆さんに頼んで、干しカラスにしてもらうしかない。

 定職にも就かずブラブラしているフーテンの寅のような私は、相棒の車引次郎と共にこの松ヶ崎に流れ着いた。
 その相棒は昨日買ったばかりなのに既にタイヤの溝がなくなり、タコ社長の頭のようにツルツルな状態になっている。これは私に与えられた刑なのか。

 ロングウォークして欲しいとの思いで命名した引次郎だが、そのボヤキが聞こえてくるようだった。「歩くのはつらいよ」と。

[この日の写真]




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