そして辺境の地へ (ラオスから中国) 2009年7月28日


 朝早くウドムサイのバスターミナルへ行ったが、中国のメンラー行きは満席。おまけにラオス側の国境の町であるボーテン行きも満席。待たずに乗れるのは国境からやや離れたルアンナムター行きだけ。仕方ないのでそのバスを利用して、乗り継ぎをしながら中国の目的地を目指すことにした。

 偶然同じバスに乗る客に、仕事の休みを利用して小旅行をしていた50代の日本人旅行者がいた。この人は、中国のラオカイからベトナムのサパへ、そこからさらにラオスに入りこのウドムサイまで来ていた。
 年に一度はアジアの旅をしてるらしく、中国も何度か訪れた事があるので中国語も少し話せる。おかげでバスの中で色々と中国についての情報を教えて貰えた。

 ルアンナムターまでの道は未舗装でかなりの悪路。ひどく揺れるので、とても眠れる状況ではない。昨日ウドムサイで1泊せず、ルアンパバーンから10時間もかけてルアンナムターへ向かっていたら、おそらくパリ・ダカール・ラリー並みの過酷さだっただろう。

 3時間程走ってバスが停車したのがボーテンとルアンナムターの分岐点。ここからルアンナムターまではまだ30km。ここでバスを降りれば往復60kmが必要なくなるので、移動時間が短縮できると急いでバスを降りた。
 そこにはタイミングよくソンテウが客待ちをしていたのでそれに乗り込み、アスファルトの快適な道を走りながらラオス出入国管理所へ到着した。

 ラオスと中国の国境はいくつかあるようだが、外人が通過できるのはこのボーテン〜モーハンの1ヶ所だけ。
 山間にある国境を歩いて渡り中国に入ると、道の両側に建設途中の建物がいくつもあった。免税店か土産屋になるのだろうか。この建物を見ただけでラオスとの経済格差がはっきり見て取れる。

 ラオスの通貨であるキップが15万ほど余っていたので、中国出入国管理所の周辺にたむろしていたおばちゃんの闇両替で中国元に替えた。手数料として200円ほど取られた計算だったが、この元が後に役立った。

 中国側の国境モーハンからメンラーまでミニバンで1時間半。田園風景はラオスと大差ないが、民家の造りが少し違う。メンラーまでは高速で行けるようだったが、ミニバンは高速には乗らず旧道のくねくね道を走っていった。
 ずっと旧道を走るのかと思えば、途中で高速のガードレールが1ヶ所外れてる所から、なんと高速に進入。あれはタダ乗りだったのではないだろうか。

 メンラーの町はラオスの首都であるビエンチャンより大きいと聞いていたが、まさにその通りだった。こんな辺境の地にこれ程大きな町があるのが驚きだ。1週間ほどのどかなラオスにいたので、大都会に来たような錯覚すらあった。
 メンラーから新たにバスを乗り継いで、目的地である景洪へ向かった。昔はこの辺りの移動も大変だったようだが、今は高速道路があるので難なく移動できる。

 景洪までは3時間くらい。到着したのは19頃だったが空がまだ明るかった。それは、広大な中国国内に時差がなく、どこでも北京時間を標準時間にしてるからだ。中国の外れにあるこの辺りでは19時といってもまだ夕方に等しく、陽が沈むのは21時頃だった。

 中国では酒店と書かれた店がホテルになることだけは知っていた。しかし、それは高級な部類であり、安宿は「招待所」「兵館」になるという。
 そして、どこでも「開水(カイシュイ)」というポットに入ったお湯を貰える。さらに安宿はバスターミナルや駅の周辺にあるので探すのも簡単。

 そんな中国個人旅行の基礎知識を、ここまで一緒に来た日本人旅行者から教わった。有力な情報と白酒を手に入れ、夜でも空がまだ明るい雲南省の辺境の地から、今回の旅のメインである中国横断がいよいよスタートした。




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