トータリー・ストーンド (マハーバリプラム) 2003年3月11日〜17日


 マハーバリプラムでは、1泊70、80ルピーの安いシングル部屋に泊まろうと考えていた。バスを降りて声を掛けてきた客引きのオヤジがシングルで1泊50ルピーの部屋があるというので、とりあえず見てみようとついて行った。

 客引きをしてきたオヤジは宿のオーナーで、場所は町の中心から1kmほど離れた民家が集まるエリア。家族経営のこじんまりした宿なので、住んでるような気分が味わえそうだと、ここに泊まることにした。

 マハ―バリプラムの町には石細工店がいくつも並び、人間ほどの大きさの彫刻から土産物になる小さなものまでいろいろ売っていた。
 店の前では金槌とのみを使って石を削る職人の姿があり、朝から晩までその音がたえず響き渡っていた。

 世界遺産の海岸寺院には小学生の団体がいた。ほとんどの子が遺産には興味がないのか、すぐ横の海で遊んでいた。子供にとっては古い寺よりも、海で遊んではしゃぐ方が断然面白いのだろう。「これ以上は進んじゃいかん!」と、先生は腰まで海に入り両手を広げて子供たちに注意していた。

 しかし、興奮している子供たちにそんな言葉は通用しない。身体にぶら下がられたり体を押されたりして、先生は子供たちのいい遊び相手になってしまっていた。みんな服を着たままでずぶ濡れになりながらも楽しんでいた。

 町の中心にはもうひとつの遺産であるアルジュナの苦行がある。その近くには「クリシュナのバターボール」と呼ばれる巨石もあった。それは斜面の上で今にも転がり落ちそうな状態で止まっている不思議な巨石だ。

 ここにも小学生の団体がいて、今度は私がいい餌食になった。次から次へと現れる子供たちに握手を求められ、同じような質問攻めにあった。
 ここでの興味は遺産よりも外人の観光客だったのだろう。このままでは海にいた先生のように、終いには身体にぶら下がられるはずだ。危険を感じた私は言葉が分からない振りをして、一団からうまいこと逃げ出した。

 宿の家族構成は旦那と奥さんに、10代半ばの息子と娘に小学生の息子。奥さんと娘は陽気なお喋り。みんな英語が少し話せたので、暇な時はいい話し相手になった。
 ある夜、宿の奥さんから隣町の寺で大きな祭りがあると聞いた。家族全員と泊まっている客でその祭りへ行くというので、私も一緒に出掛けた。

 祭りの会場である寺には出店が多くあり、人がごった返していた。祭りの趣は日本と似ていたが、寺に飾り付けられた豆電球やネオン豆などがカラフルに光っていたのはインドらしかった。

 ここでは頭を剃った男や子供を多く見かけた。それと顔を黄色い粉で化粧した女も多くいた。これは化粧のひとつであるらしい。後にミャンマーで多く見かけたのだが、これもそのタナカという化粧と同じものだったのだろう。

 寺の中央にはガートがあり、イカダのようなものが浮かんでいた。ガートの四方には大勢の人が座り、何かを待っているようだった。
 私たちもそこに腰を下ろしたので、何が行われるのかを家族から聞いてみた。それによると、町を回っている山車が戻ってきて、最後にこのイカダの上に乗る、それがこの祭りのメインとのことだった。

 日付が変わる12時頃まで長いことその場で待っていると、カラフルに飾り付けられた大きな山車が、大勢の男たちに操られてやって来た。
 祭りもメイン・イベントを迎えたのか次第に興奮していく。山車が慎重にガートの傾斜を下りていきイカダの上に乗せられると、観客は一斉に盛り上がった。ガートの中をゆっくりと回りながら四方向に山車を見せると、祭りは終わりを迎えた。

 のどかな町の雰囲気と家族経営の宿が気に入り、いつの間にか何日も過ぎていた。あまり長居していると石のように固まってしまい、ここから動けなくなってしまう。そうなっては困るので膝の上に乗っかったその石を削り、石の町マハ―バリプラムを去ることにした。




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