誰もが踏ん張っている (ムンバイ) 2003年2月14日〜16日


 インド四大都市の一つのムンバイ。イギリスの植民地だった影響か、近代化した町には西洋の感じが強くあった。
 港にはインドで一番宿泊料が高いタージマハル・ホテルが建ち、向かいには大きなインド門がそびえ建っている。周辺には屋台が出ていて、カップルや家族、土産物売りが大勢いた。週末ということもあった為か、それはお祭りのような賑わいだった。

 町の中心地と同様にこのエリアにもビルが林立し、お洒落な店やイギリスのパブのような酒場が多くあった。パブにいたのはほとんどが西洋人の観光客。そこで飲んでいると、インドではなくヨーロッパに来ている錯覚になった。

 マクドナルドもあったので行ってみた。料金はセットで100ルピー。インドの物価にしてはかなりのご馳走になる。
 調味料にはマサラを使っているためか、ハンバーガーもカレーの味がした。この国のいくつかの町を通過してきた私には、インドにマクドナルドは不釣合いに感じた。

 ムンバイは海に面しているのでビーチがある。海岸沿いの大通りにはホテルやビルが立ち並び、リゾート地を思わせた。
 浜辺もインド門の周辺と同様に憩いの場になっているのか、カップルや家族がくつろぐ姿を多く見かけた。暑いインドでは浜辺が涼しく、木陰での昼寝は快適だった。

 中央駅から電車で五駅ほど行った所に、ドービ・ガートという洗濯場がある。ここはムンバイ中の洗濯物が集められる洗濯場だ。
 少し高い塀に囲まれているので道路からだと見えないが、歩道橋の上から中の様子を窺うことが出来た。

 何人もの男たちが洗濯物を台に叩きつけて洗っており、あちこちに干される洗濯物があった。この職業はかなり低いランクに位置付けられ給料も安いらしく、一日中洗濯をする手はボロボロになるという。
 洗濯場の周りのスラム街も散策してみたが、人々の生活もかなり貧しく、ムンバイの中心地やタージマハル・ホテルの周辺とは大違いだった。

 パブで飲むのはインドらしさがないので、宿の近くの酒屋でビールを買った。店の横で飲んでいると、オッサンと子供が寄ってきた。彼らの用件は飲み終わった瓶。何に使うのか聞いてみると、酒屋に戻せば2ルピーが貰えるという。

 飲み終えて子供に瓶をあげると、オッサンは何か文句を言いながら子供から取り上げていた。可哀相だったのでもう一本買って飲み干し、今度はおっさんに見つかるなよと言って子供にあげた。
 そこそこ英語を話すこの子供にどこで英語を覚えたのかと聞くと、こういう会話で覚えたのだと言う。小学校には通ってないとも言っていた。

 ムンバイで何よりも衝撃的だったのは、長距離バスで到着するときの事だ。早朝に眠りから覚めるとバスは3車線の道路を走っていて、近代的な建物が見え始めていた。
 窓の外をぼんやり見ていると、道路の脇に20m置きくらいの間隔か、多くの人がしゃがんでいるのが目に付いた。

 何をしているのだろうとよく見てみると、それはなんと早朝の用をしていたのだ。私の感覚では道路に背を向けてやるものだが、早朝の忙しい連中は全員こっちを向いていた。忙しさのあまり、方向を忘れていたのだろうか。

 インドの町では公衆便所も少なく、ましてや貧しい人々の家にもトイレはない。その為、誰でもその辺で用を足す。だからと言って道路側を向いてやる感覚は理解が出来ない。アソコを見てくれと言ってるようなものだ。国民性の違いなのか習慣の違いなのだろうか、さすがにこれにはカルチャー・ショックを感じた。

 ムンバイは近代化してるだけに、栄えている中心地とスラムの格差が激しかった。その差がますます開いていってしまうのも、都会がもたらす宿命なのだろう。
 町が発展する影には労働者たちの努力がある。そんな人々の"踏ん張っている”姿をいろんな所で見かけたムンバイだった。




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