イメージは絵の中だけ (陽朔) 2009年8月21日〜23日


 広西チワン族自治区の北東部にある桂林は、山水画に描かれるような尖がった山々がある景色で人気の観光地。そんな桂林を訪れようと思ったが、都市化した町は忙しそうだし、なおかつ観光客が多そう。

 そこで桂林ではなく、さらに南にある陽朔を訪れることにした。この町でも同様の景色は見ることが出来る。
 陽朔でのんびりと山水画の景色に浸ろうかと思ったが、ここにも大勢の観光客がいた。おまけに連日猛暑が加わって、なおさら暑苦しかった。

 陽朔ではレンタルサイクルで郊外まで足を運んだ。川沿いのサイクリングロードを走ったのだが、それは自転車専用道路ではなく普通の道路。そこにはバリバリと轟音を立てたトラクターのトラックが、筏や自転車を積んでひっきりなしに走ってくる。
 その音が暑さと重なって神経をイライラさせる。おまけに埃も立てていく。周辺は奇峰に囲まれた山水画のような景色なのに、とてものんびり出来ない。

 目的地だった月売山の周辺も長距離バスや観光バスがバンバン走り、クラクションの嵐が響いている。その音は月売山の山頂にいても聞こえきた。さらに山頂ではジュース売りの婆さんたちがしつこくやって来るので、とても落ち着けやしなかった。

 そのまま自転車で福利古鎮という古い村に行こうとしていたが、あまりの暑さに嫌気がさし自転車を返却しに。すると借りた場所には誰も人がいない。200元もデポジットとして払ってるので逃げられたのか。

 貰っていた名刺には、レンタル屋の人間の携帯電話番号が載っていた。対面していれば筆談が出来るが、中国語がまったく話せない私には電話は無理。たまたまそこにバイタクの兄ちゃんがいたので、事情を説明して電話を掛けてもらった。
 お礼に3元くらい払おうとすると「いらないよ」と断ってきた。なんて親切な兄ちゃんだろう。レンタル屋もその後すぐに戻ってきて、ちゃんとデポジットを返された。

 暑かった陽朔では、バスターミナルの待合室が一番落ち着ける場所だった。そこはエアコンがガンガンに効いていたのだ。しばし休憩した後で、次は福利古鎮を訪れてみた。
 既に夕方になってたからなのか、陽朔にあれだけいた観光客がここには一人もいない。おまけに地元の人々の姿もまばらだった。村には大きな扇子を売る店が数軒あり、製作途中の物も多くあった。古い家が並ぶ村だが、今も生きている生活観が漂っている。

 村沿いに灘江に行ってみると船があった。これで陽朔まで戻れないかと聞いてみたが、この船は対岸への渡し舟。船乗り場の周辺には水牛が放し飼いにされ、のんびりと草を食っていた。
 桂林、陽朔と観光客の多い観光地だが、本来の人々の生活は、これくらいのどかなのだろう。私も福利に来てようやく落ち着くことができた。

 福利から陽朔への帰路で大渋滞にはまった。原因は道路工事現場でのすれ違いによるもの。日本みたいにガードマンなどいないし、無人の信号機があるわけでもないので、そこは早く行った者勝ちなのだ。

 すれ違いがうまくいかず詰まりだすと、後方から逆車線を走って先へ行こうとする車が頻出する。これが原因でさらにすれ違えなくなり、道路は手がつけられない状態になる。
 並ぶという文化がない中国では当たり前のことなのだろうが、なんで少しくらい待つことができないんだとつぐづく思ってしまう。

 山水画には「創造された風景」「心象風景」が描かれることが多く、それは、何者にもとらわれない自由の象徴、野に隠れた優れた人材の象徴、桃源郷にアクセスできた唯一の存在、などといった意味合いがあるらしい。

 そんな山水画は禅の精神に似ているので、禅宗でも好まれたようである。絵の中の平面の世界では静を感じるが、実際私が足を運んだその世界は、やたらと暑くて喧しい所だった。




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